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 彼女に就いては死んだ後、まだ一つ意外な思ひをさせられた。
 彼女は自分の道楽を見習つて、すこしは歌めくもの、まれに短文などつづりもしたが、元来家事向きに出来て居る女の物真似、なに程の事ぞときめて、取り上げた事もなかつた。彼女も臆(おく)して自分には見せなかつた。ところが彼女が死に、彼女のすこしばかりの遺(のこ)しものの破れた被布(ひふ)、をさながたみの菊だたうなど取片づけてゐるうちに、ふと、糸でからめた文反古(ふみほうご)の一束を見つけ出した。読んで見ると、自分の放埒(ほうらつ)時代にしじゆう留守をさせられた彼女の、若き妻としての外出中の夫に対する心遣ひを、こまごまと打開けたものや、子の無い自分が長柄川閑居時代に、ふと愛した近隣のこどもに死なれ愁歎(しゅうたん)の世にも憐(あわ)れなありさまを述べたものなどであつた。書きぶりも自分のによく似た上、運ぶこころも自分へ向けてゐるものばかりであつた。あの虫のやうな女に、こんな纏綿(てんめん)たる気持が蟠(わだかま)つてゐたのか。自分のやうな枯木ともなま木ともわけの判らぬ男性にやつぱり情を運ばうとしてゐたのか。さう思ふといぢらしくなつて、その文反古の上に、不覚の涙さへこぼした。しかし、再三読返してゐるうちに、自分に対して姉ぶつた物言ひや、自分を恨(うら)まず、なんでも世の中の無常にかこつけて悟りすまさうとする貞女振りや、賢女振りが、目について来て、やつぱり彼女も世間並の女であつたかと、興が醒(さ)めたとは云ひながら、その意味からいつて、また憐れさが増し、兎(と)も角(かく)も人が編んで呉(く)れた自分の文集『藤簍冊子(つづらぶみ)』の末に入れてやつた。
 秋成は、かういふ流浪(るろう)漂泊の生活の中に研鑽(けんさん)執筆してその著書は、等身の高さほどあるといはれてゐる。国文に関した研究もの、国史、支那稗史(しなはいし)から材料を採つた短篇小説、校釈、対論文、戯作、和歌、紀行文、随筆等、生涯の執筆は実に多岐(たき)に渉(わた)つてゐる。その著書は、煎茶道(せんちゃどう)の祖述、漢印の考証にまで及んでゐる。しかし、これ等(ら)の仕事は、気ままできれぎれで、物質生活を恵む筈(はず)なく、学才は人に脅威を与へ乍(なが)ら、生活はだんだん孤貧に陥つて行つた。
 養母と姑(しゅうとめ)が死んだ翌年の寛政五年、剃髪(ていはつ)した妻瑚を携へて京都へ上つたときは、養母の残りものなど売り払つて、金百七両持つてゐたといふがそれもまたたく間に無くなり、それから書店の頼む僅(わず)かばかりの古書の抜釈(ばっしゃく)ものかなにかをして、十両十五両の礼を取つて暮してゐたが、ずつと晩年は数奇(すき)者が依頼する秋成自著の中でも有名な雨月などの謄写(とうしゃ)をしてその報酬で乏(とぼ)しく暮して居た。しかし、それも眼がだんだん悪くなつて出来なくなり、彼自身も『胆大小心録』で率直(そっちょく)に述べてゐる通り、「麦くたり、やき米の湯のんだりして、をかしからぬ命を生きる――」状態になつた。
 妻の瑚尼が死んで、全く孤独のやもめの老人となつた秋成は、一時、弟子の羽倉信美(はぐらのぶよし)の家へ寄食してみたが窮屈で堪へられず、またよろぼひ出て不自由な独居生活に返つた。
 故郷なつかしく大阪に遊んだり静かな日下の正法寺へ籠(こも)つて眼を休ませてみたりしたが老境の慰めるすべもなかつた。年も丁度七十歳に達したので、前年棲(す)んで知り合ひの西福寺の和尚(おしょう)に頼んで生き葬(とむ)らひを出して貰(もら)ひ、墓も用意してしまつた。
 秋成はそのときのことを顧みて苦笑した。さすがの癇癖(かんぺき)おやぢも我(が)を折つたかと意外に人が集つて来た。恥をかかせてやつたので怒つて居るといふ噂(うわさ)の若い儒者まで機嫌よく挨拶(あいさつ)に来た。役に立たないやうなものをたくさん人が呉(く)れた。それ等(ら)の人々は自分をいたはつたり、力をつけたりする言葉を述べた。そして自分がしほらしく好意を悦(よろこ)び容れる様子を示すのを期待した。自分はしまつたと思つた。
 自分で自分を葬(ほうむ)る気持は、生涯何度も繰返したので、一向めづらしいことではない。今度こそ、すこし、それを大がかりに形式に現して気持を新(あらた)にするつもりでゐたものを、これではまるで、他人に自分を葬らせる機会を作つてやつたやうなもので、今更、取返しのつかぬ失敗のやうに思はれた。で、ふしよう、ぶしよう==有難う、まあ、これからこどもに返つた気で……といふと、その言葉に飛びついて==それが宜(よ)い、全くこれからは、何もかも忘れてこどもに生れ返りなさることですぞ。と自分と同年でありながら、髪が黒く、歯が落ちず、杖(つえ)いらず、眼自慢の老人が命令的に云つた。日頃病身の癖に、壮健な彼と同じやうに長命する秋成を腹でいまいましがつてゐる老人だつた。彼は彼に向つて日頃いたづらなる健康を罵(ののし)る秋成に、折もあらば一撃を与へようと機会を覗(うかが)つてゐたのだつた。彼の言葉は==この上、長生きをするなら、もちつと、おとなしくしろ。といふのも同じだつた。まはりで聞いて居た人々は手を拍(う)つて、さうだ、そのことそのこと、といつた。
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